
唐沢鉱山に到着した列車
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唐沢鉱山ホッパー上部
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行きついたのは「唐沢鉱山」と書かれたホッパーだった。線路は2つになってホッパーの中へと続いていた。その手前にはシングルクロスオーバーがあり機回しに使うようだった。
なかなか列車が来なくて帰りかけた頃、列車が山陰から現れた。人気の無い山の中に、やっと活気が訪れたのを見て、ホッパーを後にした。
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鉱石を積みホッパーをあとにする
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のどかだが山頂が削られた山。葛生の景色である
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帰りは春の景色を眺めながら道を歩く。左手の木造の大きな家。だがブロック塀とコンクリート製の大きな門柱。右手に現れた蔵のある旧家の立派な門構えも石灰で白い。それも葛生に生きる人の誇りにも感じた。
しばらく歩くと山すそを、さっきと違う機関車が鉱石を満載した列車を牽いて行く。「はて?あの列車はどこにいたのだろう?」機関車をつけたままホッパーの中に入っていたのだろうか。その列車の行く先の山にはいくつもの鉱山、工場がありいくつものインクラインがあった。それは中学の時の記憶だった。それを辿るように歩いてひとつだけインクラインらしきものを撮影できた。
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立派な門構えも白くなる
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芽吹き始めた木々の白さ
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山腹に貼り付いたインクライン
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「やっぱりインクラインがあった」と記憶の正しさに嬉しくなる。それでも、どのようにしていったら良いのかも分らなければ、存在を確認しただけでも十分な収穫だった。
あの踏み切りから線路沿いを歩くと住友セメントに出た。デルタ線にでもなっていたかと思わせる分岐を右に入ると、数両の古い車両が留置されている。中学の時の記憶が作った葛生の鉱石列車のイメージにやっと出会えた。本物のナローに出会えた。
一番奥においてあった客車に私の私の思いは膨らんだ。あそこの事務所の裏に簡単な停車場があり作業員を乗せて行ったのではないかと。帰ってきて来て驚いたのは、あれが人車であったこと。台車は新しくなっていたかもしれないが、それ自体は、大昔各地にあった馬ではなく人が押して走る「人車」そのものだったから。どこから持って来たのだろう・・・。
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中学のときは、彼等が走っていたのかもしれない
[写真 昭和50年3月17日撮影]
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