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思い出のローカル線

Memories of railroad travel
文と写真、信沢あつし
CREATE:96/12/12(13:00 00/12/05)
Create: 01/06/16 04:00
Update: 04/09/15 14:35
常滑の夏
焼き物の散歩道

煙突が林立する常滑焼きの町
煙突が林立する常滑焼きの町

 私は、競艇場にコンピュータソフトを納めていた関係で、時折、各地の競艇場に出張で出かけた。常滑はシステムを入れたのが、最後のほうであったが、だからこそ、よそよりも一歩進んだものにしたい、とのことで、何度も足を運ぶこととなった。
 名鉄常滑線の終点は、当時こそ競艇場のあるところであったが、現在は中部国際空港、そして昔は「常滑焼」で賑わったところだ。
ここを焼き物を荷った馬が行列を作って行った
ここを焼き物を荷った馬が行列を作って行った
 競艇場のスタンドの上から常滑の町を見ると、小さな丘に沢山の煙突が林立していた。そこで初めて常滑焼きの話を聞いた。良く見る、茶色い急須が常滑焼きで、一時期は急須のシェアの70%を占めていたと聞いて、常滑焼きをはじめて認識したと言って良い。
 狭まく、不規則に走る道路には、コールタールを塗られた黒い木造住宅が連なり、所々に工場と見られる大きな建物があり、その脇には必ず煙突が立っていた。
 私は、常滑に行くと朝仕事に行く前、仕事が終わってまだ明るいときは、そんな常滑を散策して楽しんだ。ある夏の夕方、6時頃に旅館を出て歩き始めた。丘を登ったところのT字路のところにおばあさんが腰を掛け、夕涼みをしていた。私も夕飯にはまだ早かったので、隣りに腰掛け夕涼みをさせてもらった。
 まずは、何をしに来たのか、どこから来たのか、どこに泊まっているのか、といった話になった。「丸久かい。」と聞かれ、「そうだ。」と答えると、おばあさんは自分の若かりし頃のことを話し始めてくれた。
家の土台は常滑焼きの壷のようだ
家の土台は常滑焼きの壷のようだ
積み上げた常滑焼の間から煙突が見える
積み上げた常滑焼の間から煙突が見える
「昔は、丸久にみんな集まって、良く宴会をやった。」常滑では一番大きな旅館で、料理も美味しくて、何かあれば必ず丸久だったようだ。
 目の前の車がやっと走れるほどの道は、当時から殆ど変わっていないようであった。この道を土を荷った馬、そして、焼き物を荷った馬が、行列を作って行き来をしていたのだそうだ。おばあさんは、7時になると「テレビが始まるから」と家に帰っていった。
 翌朝、仕事前に寄り道をして行くと、縁側に腰を掛けお茶を飲んでいるおばあさんが見えた。昨日のおばあさんが散歩の途中で縁側を借りて休んでいたのだった。挨拶をすると、ニコニコと手招きをするので、私も一緒にお茶をいただいた。

撮影 平成3年7月 愛知県常滑市


焼物の間を抜けて階段を上るとお寺があった
焼物の間を抜けて階段を上るとお寺があった
青空の下、赤茶色の常滑焼が美しい
青空の下、赤茶色の常滑焼が美しい

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※写真は、時折アップデートしたりしています。
また、日付は、ページの作成日であり、写真撮影日とは異なります。
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